日本酒・酒処/居酒屋昔ばなし
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2024年12月12日
居酒屋っていつの頃から在ったのって、知らにない人意外と多いんですね。
日本酒誕生から居酒屋へ…、
今回は、日本酒と居酒屋のル-ツを探ってみましょう。遡れば、弥生時代
紀元前500年~600年、約2500年程前の日本で最初の稲作が始まり、米を主原料とした酒造りもこの時代ではないかと言われておりますが、実は憶測だけでこれを裏付ける物証は無いんです。そこで、発掘された土器やその他書物により、立証されている年代から遡る事にしましょう。
時は、奈良時代(710年~794年)
約1,300年前には米を主原料とした酒造り専門の造酒司(みきのつかさ)というお役所が、今で言う宮内庁の管轄下にあったんです。当時はその造酒司が酒造りを一任されていた為、位の高い貴族だけがお酒を飲む事が出来たんだそうです。
当時の酒は、今で言うどぶろくの様なもので白く濁っていました。
絶対量も少なく貴重で高価であった事から、一般にまで届く事はなく庶民は酒粕のような物を溶いて飲んでいたんです。
そして平安時代(794年~1185年)
約1,200年前になると、時代の混乱等もあり朝廷から次第に民間にも酒造りの技術が広まって参りました。その頃の酒造りは高野山等、大きな寺社が中心だったんです。
僧侶たちが造るお酒(僧坊酒)が世に広まり、お寺は大きな財源を得た事で勢力を拡大して行ったそうです。
この頃には現在のような澄んだ日本酒が作られるようになり、醪の上澄みは朝廷や貴族に献上され、醪の部分を一般庶民が飲んでいました。
しかし一般庶民にはまだまだ高嶺の花だったようです。
そして鎌倉時代(1185年~1336年)
約840年前になると、徐々に一般庶民の間でも酒造りを学ぶようになり広く飲まれるようになって参りました。更にはそれによる弊害で、お酒を飲み過ぎて働かなくなってしまったり、酔って事件を起こす武士や町人が増えてしまったんです。
当時の鎌倉幕府は禁酒怜を発令し、お酒が飲めない期間が暫らく続いたんだそうです。
禁酒怜こそ出ていませんが、令和の現在とあまり変わっていませんね。
その後、室町時代(1336年~1573年)
約690年前になると、酒造りが再開され規律も作られた事から、庶民の間では「造り酒屋」が増えて行ったとされています。*…..*…..*…..*
余談になりますがこの時代、
織田信長により室町幕府は滅ぼされ、安土桃山時代へと移って行くんですね。因みに織田信長は下戸だったそうですよ、豊臣秀吉は下戸ではなかったものの、好んでは飲まなかったようです。
徳川家康は酒豪とまではいかなくても、甘口のお酒を好んで飲んでいたようです。
*…..*…..*…..*そして江戸時代(1603年~1868年)
約420年前、この頃の酒屋「酒問屋」の片隅には、ちょっとした立飲み処があり、結構混み合っていたそうです。高級品だったお酒が安価に手に入るようになり、庶民の楽しみになって行ったんですね。
この時代、酒屋に居てお酒を飲む事を居酒(いざけ)と言われていました。
おつまみ等は無く、仕事帰りの労働者たちは、量り売りの日本酒を立ち飲みしてから家路に着いたとされています。
そしていつからか酒屋で立ち飲みをする事を、角打ち(かくうち)或いは(もっきり)と呼ぶようになっていったんです。
時は流れ、江戸時代中期(1730年前後)約290年前の頃、
赤穂浪士による討ち入りがあった時代です。※忠臣蔵/元禄15年(1702年/322年前)
この時代になり、現在のような居酒屋スタイルが確立されて来たんです。
角打ちの延長線上で、お酒と魚料理や鍋物、天ぷらや蕎麦等を提供し、それを生業とする「煮売り酒屋」なるお店が出て参りました。
*…..*…..*
池波正太郎の鬼平犯科帳や剣客商売での一節、煮物や鍋物を出しているお店で、客が酒を飲みながら自慢げに料理を語っているシーン、これらの背景はこの時代と考えられます。
*…..*…..*そして江戸時代後期(1850年前後)
約170年前になると、角打ちや煮売り酒屋の区別が曖昧となり「酒屋に居続けて酒を飲む」という所以から「居酒屋」へと進化したという事です。*…..*…..*
現代の日本に置ける「居酒屋」は、日本酒誕生により創られたと言っても過言では無いようです。
*…..*…..*日本の居酒屋の歴史、壮大でした。
それでは、
本日はこの辺で失礼を致します…。
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